2013年10月5日土曜日

EU:政治混迷と社会主義勢力の台頭がナチスを再生産するか。

https://surouninja.blogspot.com/2013/10/the-eu-and-the-vatican-may-reproduce-the-nazi.html
ドイツでは自民党(FDP)が議席を失い、メルケル率いるキリスト教民主社会同盟(CDU)も圧勝こそしたものの過半数は獲れず仕舞い。そして、イタリアでは大連立政権の左派勢力が力を増しているわけだが、このような最近のEUの政治動向を見ていると、何か“危うさ”のようなものを感じざるを得ない。


特定アジアの反日国家は、日本の安倍政権をナチスに例えたりするわけだが、どちらかと言えば本当にナチス化しているのは中国やEUの方である。

抑々(そもそも)日本は、“国家社会主義”を掲げたナチスとは真逆の政策を推進している。まぁ確かに、自由主義陣営の中でも日本は未だに社会主義的傾向(というか官僚主義)が強いことは確かだが、日本の政治の向かわんとする方向としては“国家社会主義”などとは真逆である。

それに引き換え、中国やEUといった国と地域は今現在、社会主義的傾向を強化する方向へと突き進んでいるように見受けられる。

ナチスドイツの「国家社会主義」とソ連の「社会主義」は相容れない主義なんで独ソ戦になったと本で読んだんですが本当なんですか?文字だけ見れば同じような主義に感じるんですが・・・ - Yahoo!知恵袋 2007/6/21 22:55:31
いいえ、基本的には全く同じ思想です。
国家社会主義とは19世紀ドイツのユダヤ系左翼思想家フェルディナント・ラッサールによって体系化された思想で、ラッサールは後にマルクス社会主義(共産主義)を体系化させたカール・マルクスとベルリン大学でヘーゲル左派思想を共に学んだ友人でした。

社会主義とは19世紀前半にロバート・オーウェンやサン=シモン、シャルル・フーリエらが提唱した思想ですが、これは実現性の薄いユートピア思想でしかありませんでした。
そこでドイツの哲学者ゲオルク・フリードリヒ・ヘーゲルの思想を取り入れた社会主義を造ろうという試みがドイツで行われ、それを完成させたのがラッサールとマルクスだったのです。

このラッサールの思想で20世紀初頭にアントン・ドレクスラーという詩人がドイツのブレーメンで結成させた政治団体が「ドイツ労働者党」でした。
この政党はアドルフ・ヒトラーというカリスマ指導者に乗っ取られた事でドイツの政権政党までのし上がりましたが、その本質が社会主義政党であったことは紛れもない事実です。

当時のドイツはマルクス社会主義と国家社会主義が本家争いで対立して存在していました。
日本の社会主義も戦後ブント・革マル派・中核派などのように武力闘争に走って殺し合いを演じたのですが、絶対正義を自称していたドイツの両社会主義もやはり武力闘争に走り、ついには政権を取ったナチスが共産党が国会の放火を行ったとして緊急大統領令によって逮捕されドイツ共産党は壊滅したのです。

ソ連にとってはドイツは偽りの社会主義に乗っ取られた故郷であり、ドイツにとってはソ連は追い出した偽りの社会主義が生き延びて再び侵略しようとしている悪魔だったわけです。
同一の神を崇めながら、近親憎悪で対立するキリスト教徒とイスラム教徒に似たものだと言えるでしょう。


ちなみにナチスドイツに於ける労働者への優遇処置は非常に大きな物で、たとえば公共事業として行われた高速道路に於いて労働者への賃金として充てられたものは建設費の46%でした。
日本がゼネコンや地主に払われる額の方が多く労働者にはせいぜい10%でしかないことと比べると圧倒的だとも言えます。

またナチスは世界に先駆けて8時間労働を法的に実施し、労働者の通勤時間を30分以内にさせたり時差出勤を採用させるように指導していました。
また福利厚生制度も充実させ従業員100名以上の会社には格安の社員食堂を設置、大きな工場には休憩室・食堂・医務室・電気マッサージ室、温水冷水浴室・スティーム浴室などを設置することが義務づけられていました。
また住宅にも充実した制度が義務づけられ、会社が労働者住宅を建設できない場合には周辺の賃貸住宅を労働者のために借り上げることも義務づけられていました。

またナチスは格差の解消を政策の一つに掲げており、労働者でも買える大衆車「フォルクスワーゲン」を開発したり娯楽福祉事業に力を入れたりしていました。
「国民に外国から祖国を見る機会を与える」という方針で慰安旅行が奨励され、一例としてホーホラルマルク鉱山に炭坑夫が参加したアルプスの景勝地アルゴイへの10日間3食付きの慰安旅行は僅か34マルク(炭坑夫5日分の賃金)だったとされています。
この旅行にナチスは終戦までに労働者を10万人も参加させているというのですから、これは到底ただのプロパガンダとは言えないものがあります。

労働政策という分野に限って言うならば、ナチスの社会主義はソ連の社会主義より遥かに充実した内容になっていたと言えるのです。

カトリック教会がナチスの残党の国外逃亡を助けたのはなぜ? - Yahoo!知恵袋 2007/9/15 22:38:08
カトリック教会がナチスの残党の国外逃亡を助けたのはなぜ?

ある本を読んでいたら、ヒトラーはイエス・キリストをユダヤ人だとしてキリスト教も否定した、とありました。
それではなぜ、ヨーロッパ戦線の終戦間際、カトリック教会はナチスの残党(主に高級幹部)の南米逃亡を手引きしたのでしょうか。
カトリック教会は、ヒトラーとナチスを別物と考えていた?なんてことがあったのでしょうか。
1933年、ヒトラーが政権を取ったとき、意外にも国際的に高い評価が下されていた。
 
「ドイツ政府元首ヒトラーが共産主義ならびに虚無主義とあくまで戦う決意の人であることを認め、喜びにたえない」
(ローマ教皇ピオ11世)
バチカンとヒトラーが結びついた要因は複数ある。

まず1つは、ともにキリスト教世界が抱き続けた反ユダヤ主義を共有していたという点が挙げられる。ヒトラーが唱えた反ユダヤ主義というものは、ナチスの専売特許ではないし、突然ヨーロッパに吹き荒れたものでもない。反ユダヤ主義はキリスト教界が作り出した2000年来の西欧文明のシンボルであった。

先一般にキリスト教会はユダヤ人に対し、「キリストを裏切り、永遠に国家を持てずにさまようように罰せられた民族の運命に、宗教的理由からいっても同情するのは筋違いだ」とし、バチカンもプロテスタントも反ユダヤ的であった。

キリスト教という宗教的な厚い土壌があったからこそ、ヒトラーの反ユダヤ主義は、枯れ野に火を放ったように爆発的に広がり、根づいていったのである。

 

しかし、カトリック教会(バチカン)は最初からナチスを支持していたわけではなかった。当時、両者はお互い一定の距離を保ちながら牽制しあっていたのも事実である。

1918年から1932年までの間、ヒトラーが政権を取るまで、カトリック政党の「ドイツ中央党」は、全ての内閣で重きをなしていた。当時のドイツのカトリック教徒は人口の約3分の1を占めており、ドイツの司教たちは、信者たちに「ドイツ中央党」を選ぶようにすすめ、ドイツ・カトリック司教団の司教たちは党の役職についていた。

まだこの頃は、弱小であった「ナチ党」ではあるが、「ドイツ中央党」のライバルにあたるので、この時のドイツ・カトリック司教団は、ナチ党員にはカトリック教会の秘蹟を授けてはならないと決定するなど、反ナチス的であったのだ。


しかし、1931年にローマで出された回勅『クワドラジェシモ・アンノ』で説かれた職能団体の有機体国家思想がドイツに大きな影響を与えていた。このナチスばりの国家論に感銘を受けたのはカトリック教徒で、1932年6月に首相になったフランツ・フォン・パーペンだった。

これを機にカトリックとナチズムは接近し始め、1933年1月にヒトラーが首相になった背景には、このパーペンの助けがあったとされる。そして2ヶ月後の3月に、バチカンの教皇ピオ11世は枢機卿会議で、ヒトラー政権を認める見解を表明。同じ日に、ドイツのカトック政党「ドイツ中央党」は、悪名高い「授権法法案」に賛成し、ワイマール憲法は無力化。そして数日後、ドイツ・カトリック司教団は、それまでナチスのメンバーになることをカトリック教徒に禁じていた指示を撤回したのであった。
 

こうして、カトリック教徒という最大の支持層を獲得したナチスは、労働組合禁止(5月)、社会民主党の活動禁止(6月)、ナチスを除く全政党の解散(6月)、新政党禁止令(7月)と驚くべきスピードで独裁を完成させる。

更にこの年の7月20日、ナチスとバチカンの間に歴史的な「政教条約(コンコルダート)」が結ばれた。これにより、ナチスは国内のカトリック教徒を弾圧しないことを保証し、カトリック教会側は、聖職者と宗教を政治と分離することに同意。そしてバチカンは、ナチス政権をドイツのために祝福するとともに、聖職者たちにナチス政権に忠誠を誓うことを命じたのである。

ヒトラーにとってバチカンとの間で「政教条約」を結ぶことは、国際的にもナチスの評価を高める政治的な大成功となったのである。

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大戦後のEUでは“反・反ユダヤ主義”の箍(たが)が効いてはいるものの、バチカンがカネに物を言わせて再び“反ユダヤ思想”を煽れば、その箍はあっという間に緩むだろう。バチカンは今もドイツを中心にEUでの影響力を持ち続けている上に、箍が緩んでしまうだけの土壌は不景気に苦しむ民衆の間で醸成されつつある。

社会主義勢力が台頭し、そこへバチカンが加担すれば、欧州は再び危険な方向へと突進して逝くだろう。

右も左も逝き過ぎれば全体主義に行き着くわけだが、ナチスの場合は右からではなく、左から突き進んだということを決して忘れてはなるまい。カルトの親玉が人々の心の奥で燻る狂気の火種に油を注ぎ込んだことで、ナチスは勢力を拡大したのである。狂気の火種が右に向いていようが左に向いていようが関係無い。

EU以外に南米“カトリック”諸国にもその危険な徴候は現れている。それらの国々は、社会主義政策の失政による国民の不満を海外に逸らすため、せっせと“反米思想”を焚き付けている。


2013年10月1日火曜日
ベネズエラ:「反米」と「悪性インフレ」の無限ループに嵌るマドゥロ政権。
http://surouninja.blogspot.jp/2013/10/maduro-touting-the-anti-americanism-destructs-venezuela.html

2013年9月22日日曜日
ベネズエラ:トイレットペーパー不足から始まる社会主義国家の瓦解。
http://surouninja.blogspot.jp/2013/09/the-hyper-inflation-may-be-called-by-venezuelan-govt.html

2013年8月20日火曜日
ドイツ財務省が「ビットコイン」に御墨付き。作られたビットコイン・ブームの裏に在る物。
http://surouninja.blogspot.jp/2013/08/bitcoin-germany-vatican-china.html

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