銃弾提供を決定 政府「例外措置」と説明
NHK 12月23日 19時7分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131223/k10014049501000.html
南スーダンのPKO活動に関連し、政府は、陸上自衛隊の銃弾1万発を、PKO協力法に基づき、国連を通じて韓国軍に提供する方針を決めました。
PKO協力法に基づき国連に武器が提供されるのは初めてで、政府は、緊急性が高いことから、いわゆる武器輸出三原則の例外措置として実施したとする官房長官談話を発表することにしています。
武器輸出三原則 - Wikipedia
佐藤栄作首相は1967年(昭和42年)4月21日に行われた佐藤栄作首相の衆議院決算委員会における答弁により、以下のような国・地域の場合は「武器」の輸出を認めないこととした。これが狭義の武器輸出三原則とされる。
・共産圏諸国向けの場合
・国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向けの場合
・国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向けの場合
上の条件を改めて見直してみると、この三原則が共産国にとって非常に有利なものであることが分かる。反共としての立場を鮮明にしていた資金豊富な日本が、共産圏で戦う同盟国への武器支援を行わなくなれば、勢力拡大を図っていた当時の共産主義勢力は大いに助かることだろう。それは即ち、戦地の泥沼化により同盟国の国民を見殺しにすることを意味する。
尚、1967年当時の米大統領は、米民主党のリンドン・ジョンソンである。
リンドン・ジョンソン - Wikipedia
外交では、ケネディ政権から引き継いだベトナム戦争への軍事介入を拡大させ、国内に激しい反戦運動と世論の分裂をもたらした。
ジョンソンは当時北ベトナムに軍事顧問団を多数送っていたソビエト連邦や中華人民共和国との関係を考慮して、北ベトナムの基地関連施設に限定した空爆を行うに止めている。ハノイ港にはソ連の輸送船から荷揚げされた兵器もあったが、ジョンソンはそれすら攻撃を行うことはなかった。これはソビエトや中国との全面衝突をおそれたからであるが、この結果、北ベトナムにはソ連や中国からの支援が継続されることになる。
1965年から1968年までの間、北爆やアメリカ軍兵士の増強などを行い戦争を連続的に拡大していった。それは何万ものアメリカ軍兵士の死と、およそその60倍のベトナム人の死、そして最終的にはアメリカの撤退と南ベトナムの崩壊を招いた。
ジョンソン大統領がどちらを向いた政治を行っていたかは、上の引用からも分かる通りである。これが米民主党の“真髄”と謂えるだろう。
この時の佐藤栄作首相の決定は、米国の動きと連動していたことが分かる。そんな佐藤栄作首相は退任後、グローバリスト勢力からの褒美と謂える「ノーベル平和賞」を日本人で初めて受賞している。
佐藤栄作 - Wikipedia
総理退任後
1974年晩秋、田中角栄の日米にまたがる金脈問題が騒がれ始める中、佐藤は非核三原則やアジアの平和への貢献を理由としてノーベル平和賞を日本人で初めて受賞した(受賞に関する詳細は後述)。賞金は「国際連合の下に設立された国連大学の発展に協力する等世界の平和と福祉の向上に資すること」を目的として佐藤栄作記念国連大学協賛財団に寄附され、国連大学の行う世界的課題の研究のうち、業績顕著なる者への褒賞として佐藤栄作賞が制定されている。
グローバリストと米英の間で綱渡りをしていた佐藤栄作は、最終的にはグローバリスト勢力(当時の共産主義者)側に堕ちたということである。否、寧ろ初めからそちら側のエージェントだったのかも知れない。
ちなみに、親共的なジョンソン米政権の裏方として米中外交を温めていたのは、あのヘンリー・キッシンジャーである。キッシンジャーもまたこのタイミングでノーベル平和賞を受賞している人物の一人である。
ヘンリー・キッシンジャー - Wikipedia
冷戦政策の再構築を意図したニクソン政権期の外交の中で、キッシンジャーは重要な位置を役割を果たした。1971年にはニクソンの「密使」として、当時ソ連との関係悪化が進んでいた中華人民共和国を極秘に二度訪問、周恩来と直接会談を行い、米中和解への道筋をつける。一方で、この中華人民共和国との和解を交渉カードとして、ベトナム戦争終結に向けた北ベトナムとの秘密停戦交渉や、ソ連とも第一次戦略兵器制限条約(SALT1)を締結するなどデタント政策を推進した。
またこのような大国間関係の動きと連動して、ニクソンとキッシンジャーは1960年代から1970年代初頭のアメリカにとって最大の外交問題であったベトナム戦争の終結にも成果を納めた。
これを功績としてアメリカ交渉団の代表であったキッシンジャーはノーベル平和賞を受賞することとなる。
日本に関して
日本については、経済大国である以上政治・安全保障両面でも大国として台頭しようとする欲求を持つだろうとの見方を一貫して示している。特に、1971年の周恩来との会談で日米安全保障条約に基づく在日米軍の駐留が日本の「軍国主義」回帰を抑えており、同盟関係を解消すれば日本は手に負えない行動を取り始めると警戒感を示した「瓶の蓋」論は有名である。
北ベトナムのバック(中ソ)の武器支援をわざと放置して泥沼化させ、最終的には米軍を撤退させ、ベトナムの頭越しに米中和解を実現し、国交を樹立した米民主党政権と裏方キッシンジャー。典型的な米民主党による親中政策である。
リベラルや人権を叫びながら中国共産党政権の人権侵害は放置し、中国やロシア(ソ連)の関与する紛争地帯では中途半端な介入で余計に事態を悪化させ、犠牲者を量産し続けるという、グローバリスト勢力お馴染みのスタイル。この遺伝子は今のオバマ政権にも受け継がれていると見て良いだろう。
1967年 - Wikipedia
6月5日 - イスラエル・アラブ連合間で戦闘開始(第三次中東戦争)。6月11日に戦闘が終結しイスラエルの圧勝。この結果、イスラエルの占領地域は戦前の4倍以上に拡大。
オバマ大統領「パレスチナ国境、1967年ラインで」
イスラエルの入植活動、否定と取れる発言
日経新聞 2011/5/20 10:00
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2000P_Q1A520C1000000/
米政府は中東和平交渉の再開に向け、イスラエルとパレスチナ自治政府の双方に思い切った歩み寄りを求める方針だ。オバマ大統領は19日の中東政策演説で、パレスチナを正式国家にする際の国境について「(第3次中東戦争前の)1967年ラインに基づくべきだ」と表明した。イスラエルによるヨルダン川西岸地区での入植活動を全否定したと受け取れる発言で、イスラエルの反発は必至だ。
このように、「武器輸出三原則」が生まれた1967年の世界の動きを見てみると、隠れ共産主義者(グローバリスト勢力)と思しき佐藤栄作の提案が発端となったその原則が、如何にご都合主義的なものであるかがよく分かるというものである。
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